研究留学の体験記⑥【ポーランドに派遣されるの巻】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。

最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている塾生が増えてきているので、備忘録程度に留学体験記を執筆します。

「塾生からも記事読みました! 留学楽しそう」と留学に興味を持ってくれる塾生もちらほらいるようです。

研究留学の体験記①【トルコ留学準備〜奨学金申請編】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。 最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている…

研究留学の体験記②【トルコに研究留学してからの生活はこんな感じ】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。 最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている…

研究留学の体験記③【トルコでの青春と一人国内旅行とイベント】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。 最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている…

研究留学の体験記④【トルコ留学中に一週間ポルトガルへ】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。 最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている…

研究留学の体験記⑤【イスタンブールの国際学会での口頭発表】

大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。 最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている…

いつだったか忘れたのですが...2019年11月くらいに、

Nalan先生から、「一月にポーランドに行かない?」と唐突に伝えられました。

詳しく話を聞くと、

ラボメイトである、エスラとファットマがポーランドの共同研究先に3週間滞在するとのことで、

「経験としてあなたもいっておいで」と言われました。

研究留学先は国際シンポジアムで出会ったブリャック先生の研究室です。

ポーランドまでの道のり

ポーランドには年始に行きました。

ポーランドへの滞在期間は2020年1月8日くらいから2020年1月30日くらい?の三週間です。

詳しい日時はよく覚えていません(汗)

搭乗したのはLOTポーランド航空でイスタンブールからヴロツワフ行きの飛行機でした。

トルコ国内で乗っていた飛行機がトルコ航空だったのもあり、

LOTポーランド航空サービス微妙だな←失礼

と思ってました。

というか、トルコ航空がサービス良すぎるんですよね。

国内線でさえ、フランスパンにチーズとフレッシュトマトを挟んだ軽食が出ますから...飲み物はトルコのアイラン(プレーンヨーグルト)をいつもオーダーしていました。

JAL、ANAでもドリンクサービスだけですよ。

僕が滞在したヴロツワフは、

レンガ作りの西洋建築の建物ばかりで、とても感動したのを覚えています。

ヴロツワフの空港には、ブリャック研究室のスタッフさんが向かいにきてくれました。

空港からゲストハウスにそのまま直行です。

そう、そのゲストハウスは学生寮のすぐそばで...めちゃめちゃ綺麗でした。

そのゲストハウスも予約が取りにくいようで...すんなり入れました笑

ホテル運?

外国ではいいようです。

ヴロツワフでの生活

ポーランドに着いた翌日から、ヴロツワフ工科大学に行きIDカードをもらったり、指導教官の先生に会って自己紹介をしたりしました。

大学内も案内してもらえました。

大学には毎日、路面電車で通っていました。

学生寮・ゲストハウスから歩いて5分のところに駅があり、大学の目の前に停車します。

ブリャック先生の元には数名先生がいて、その中の女性の先生が僕の指導教官でした。

「最初の一週間は論文を読んでまずは勉強しましょう。2週目・3週目で研究をしましょう」と言われて、論文をいただきました。

研究室にいる時間も自由で、僕は朝から15:00くらいまでいました。

というか...そもそもりみんなあまり研究やってなくて、僕が一番やってたのではないかな?と思います(笑)

3週間のうちに他の学生が研究やっているのを数回しか見たことがないです。

研究が終わってからは大学近場を散策したり、デパートに行ったり、ギフトショップなどを回っていました。

日本への帰国日が迫ってて、お土産探さないとと必死です。

トルコの大学ではすぐに友達ができたのに、ポーランドの大学では誰からも話しかけられません。

「あれ、トルコだとめちゃ話しかけられたのにな?」

と思いつつ、まあ3週間の滞在だからいいやーと友達作りは諦めていました。

ポーランドに行ったのは冬でめちゃめちゃ寒かったので、現地でコートを調達しました。

大学の近くの街。

大学の近くにあった教会?聖堂?

大学近くのデパートで食べたなんちゃって日本食。ワカメとかほぼ1年ぶりです。

学食です。二日に一回くらいは学食で食事をとっていました。惣菜を選んで重さで料金が変わる形式です。

この学食で飲んだストロベリーのスムージーにハマって、学食に来るときは毎度オーダーしていました。

ポーランドといえば...イザベラがいたので、2回か3回一緒に遊びました。

イザベラが案内してくれた場所。

馬車がパコパコと走ってました。

観光用なのが礼式用なのかよくわかりません。

ポーランドってめちゃめちゃ街並みがおしゃれなのですが...1週間もすると慣れてしまい感動が薄れます。

ヨーロッパあるあるですね。

そうそう。

不思議だったのが、クリスマスは既にすぎているはずなのに、大きなクリスマスツリーが街の至る所に点在していました。

正月に門松を置いて、それを3月まで放置する?

ような感覚ですよね。

顔自粛

イザベラ・エスラ・ファットマと僕です。

ちょっと写真写り悪いので自粛しています。

僕がきているコートがポーランドで調達したコートです。

ちなみに日本で一回も着ていません。埃かぶっています...

ソルトマイン

ヴロツワフから電車で一時間の街にある有名な観光地。電車とバスで行かないといけない不便な場所にありました。

大学周辺にある小人?

見つけるたびに写真を撮っていました。

研究内容は?

研究内容はあまり覚えていないのですが、

プラズマによる膜表面の機能向上?

CVD(化学気相成長)技術?とか?

に関する研究だったかと思います。

確か膜にプラズマを照射して、水の撥水性を調べる

というのをしていました。

① プラズマ照射
② 撥水性を調べる専用の装置で分析
③ データ集計

2週間まるまる平日は研究をしていて、

指導教官の先生から、

「2週間でよくこんなにデータを取ったね」と言われた記憶があります。

(ムフフフ....単に暇だったのと一回の実験時間が短くて数をこなせただけ)

データまとめといてと言われたので、

データをまとめてA4で3枚程度のレポートに仕上げ、先生に提出しました。

パソコンがあるところが僕のデスクです。

プラズマの照射時間もものの数分で分析実験時間も3時間程度で終わったので、朝から大学にいて、15:00には帰っていました。

暇な時間は洋書読んだり、論文読んだり...雑談したりと過ごし方はトルコでの研究室と変わりません。

YouTubeもたくさん観ていました。

研究室に到着するのも確か...めちゃめちゃ早い方で、

エスラに「来るの早くない?」と言われていました笑...

まあ、朝型ですからね。

エスラは朝起きれないタイプです。

一番右の先生がブリャック先生です。今までであった人の中で一番英語がうまかった...

え、ネイティブ?みたいな...

髪型ダサいです...トルコで切りたくなくて伸ばしっぱなし...あと寝癖

イザベラの家にご飯を食べに行く

イザベラ家からご招待されて、イザベラの家に昼食をいただきに行きました。

ゲストハウスから電車で1時間、車で20分のとこにありました。

ポーランドの伝統的な食事の取り方のようです。

イザベラ・イザベラの弟・お父さん・お母さん・僕とエスラで食卓を囲みました。

(ファットマは体調不良で欠席です)

イザベラの弟は中国に留学経験があるようで招き猫が家にありました。

それ「日本のだよ」というと、「中国で買った」っていってました。

え、パチモン?

闇を感じたのでそれ以上はツッコミません...

イザベラの家ではおしゃべりして数時間過ごしました。

イザベラ弟も英語が堪能です。

僕は薄味ですので、このスープが口によく合いました。

ハリーポッターに出てくるような食卓でハリーポッター好きからするとワクワクしました。

エスラは偏食家なので、あまりポーランドの食事が合わないといっていて...「大変だな〜」と

エスラは北九州市立大学で1年間交換留学に行っていた経験があるので...日本文化にも理解があります。

エスラは日本食が合わなかったとのこと笑...

中東やアフリカの人って日本食合わない人が多いイメージです。

アメリカやヨーロッパ、アジアの人は日本食が大好きですよね。

僕は味音痴ではないのですが、好き嫌いないので、ある程度の料理であればなんでも食べれます。

ポーランド料理もトルコ料理もポルトガル料理も口に合いました。

一人でワルシャワに

せっかくポーランドに行ったからにはワルシャワに行かないとということで...

一人でワルシャワに行きました。

エスラとファットマを誘ったら拒否されたので、泣く泣く一人で行くことに....

確かヴロツワフからワルシャワまで電車で行きました。

3時間くらいだったかな?

行きがあまりにも長すぎたので、帰りは飛行機でヴロツワフまで帰りました。

ワルシャワの空港名がワルシャワ・フレデック・ショパン空港....

名前ながっ

ワルシャワはあいにくの雨でした。

街並みはヴロツワフの方が好きでした。

綺麗なのは綺麗なのですが...

なんというか首都というよりも第二・第三の都市の方が魅力的に映えるのはどの国でも同じですね。

ちなみにトルコの首都はイスタンブールではなくアンカラです。お間違い無いように

過去一好きな教会でした。たまたま入った教会です。これこそハリーポッターの世界です。

歴史を感じますよね。

博物館にも行ったのですが...ヨーロッパの歴史がわからなさすぎて、というか...教養がなくていまいち面白さがわからなかったです。

世界史の教養があると、ヨーロッパの博物館巡りは楽しいかと思います。

中学生に「社会とか必要ですか?」と言われた時は、僕の教養がなさすぎて博物館が面白くなかった話をするようにします笑...

あっという間の3週間

ポーランドではあっという間に3週間が経ちました。

平日は研究したり、街をぶらぶらしたり、買い物したり...

土日はイザベラたちと遊んだり、一人でワルシャワに行ったり...

もちろん、それでも時間が余ったのでYouTube観たりだらだらしたりしていました。

ポーランドからトルコに帰る空港のチェックインカウンターで、LOTポーランド航空のポーランド人お姉さんに

「Soma Kitda様ですね。パスポートをお願いします」と日本語で言われました。

話を聞くと...大学で日本語を専攻していたとのこと...久々に日本語が聞けました。

ポーランド留学の機会を与えてくれたNalan先生と快く受け入れてくれたブリャック先生に心から感謝しています。

ポーランドの3週間も楽しかったけど、やはりトルコの方が肌に合いました。

2020年1月末にトルコに戻りました。

ちょうどこの頃から中国の武漢でコロナが出始め、

ブリャック先生が、「コロナウィルスが中国で流行っていて、WHOの推測では人がたくさんになくなるらしいよ」と言っていました。

ニュースを見ない僕は、どういうこと?と頭がはてな状態...

イスタンブールの空港内のレストランで、トルコ人から冗談でChina?と聞かれたりもしました。

おい、どう見てもジャパニーズだろ?

この頃からコロナは世界が注目するものだったのでしょう。

次に続く...

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