研究留学の体験記⑦【トルコから日本へ帰国】
大牟田市・オンラインで完全個別指導・少人数個別指導の英語塾・進学塾・有明高専生専門塾を運営しているきただです。
最近、少しずつ留学の相談や留学したいと考えている塾生が増えてきているので、備忘録程度に留学体験記を執筆します。
僕の帰国日は2020年2月6日でした。
ポーランドからトルコに戻ったのが、2020年1月末だったため、寮ではなく、エーゲ大学のゲストハウスに泊まりました。
ゲストハウスに行く途中に、「Soma? お帰りなさい」と面識のある女性の先生に声をかけられたので、ハグしてトルコ流の挨拶をしました。この頃にはトルコ式挨拶も一流です。
最後の1週間は研究活動はなく、成果報告のための発表資料をまとめたり、友達にお別れの挨拶をしに行ったりしました。
トルコでの成果発表
大学に戻って、成果発表をした日は2024年2月4日です。
大学の会議室に研究室のメンバーや大学の広報担当者が集まり...
これまでの成果を発表しました。
たしか5年前のエーゲ大学のHPに記事が掲載してありました。
この写真は少し盛れました。(と思います)
Nalan先生から、「Somaは大学でみんなと仲良くてとてもいいラボのメンバーだったよ」と言われたのが嬉しかったです。
(こう言われると、これまで留学にきていたメンバーの中で問題児がいたのかな?と邪推しますよね)
実際に研究室のメンバーとは仲がよかったと思います。
キャンパス内でチャイ(トルコのお茶)を飲みにカフェに行ったり、ご飯も食べに行ったりしていました。
エスラが車持ちなので、エスラの車で...
Nalan先生に「もし、Somaが働き始めて誰かをみる立場に立ったら何かしてあげないとね。全ては繋がっているから」と言われたのを今でも鮮明に覚えています。
とても考えさせられる言葉でした。
さらばトルコよ
2020年2月5日までにお世話になった人全員に挨拶を告げて、2020年2月6日にイズミル発カタール経由福岡空港着のカタール航空の飛行機で帰国しました。
カタールでの待機時間が15時間ほどあったので、3000円ほどで5星ホテルに泊まれたので泊まりました。
トランジット限定の割引のようです。
カタールから福岡空港までの搭乗ゲートにはたくさんの日本人がいました。
「あ〜懐かしい」
と思った記憶があります。
帰国した翌々日に有明高専に帰国の報告をしに行きました。
後輩から、
「お帰りなさい。北田さん。日本語ものすごくおかしいですよ。大丈夫ですか?」
と言われました。
日本語の何がおかしいかというと、イントネーションと日本語の順番が英語の語順になっているとのこと。
自分ではわからないものです...
その後輩は今では九州大学大学院の博士後期課程の学生で、当塾のオンライン講師です笑...
トルコから帰ってきた2ヶ月後に多くの国が国境を閉鎖しました。
そう、コロナウィルスの始まりです。
コロナが流行り始める1ヶ月前に帰国できたのは本当に運が良かったです。
コロナ禍にタンジーナが熊本大学に留学していたので...恩返しできたのは良かったなと思います。
タンジーナはバングラデシュからの留学生で滞在中に色々サポートしてくれました。
これは滞在許可証(イカメット)を取得するときにタンジーナと移民局?に行った帰りです。
タンジーナが日本にいたときに、天神を案内したり、太宰府を案内したり、熊本市内でランチしたりしました。
留学を経て
研究留学だったので1年間学校を休学する必要がありました。
単純計算で1年間留学すると働き始めるのが一年間遅くなるので、生涯年収が約1000万減ることになります。
同級生よりも卒業が1年遅くなる不安もあります。
でも、留学への想いと不安材料を天秤にかけた時、留学したい気持ちの方が勝りました。
留学は非日常の連続です。
たくさん研究して、たくさん勉強して、たくさん友達を作って、たくさん旅をして、いろんなものを食べ、いろんな街を見る
エキサイティングな経験ができる反面、想像し難い苦労もたくさんあります。
光が濃いと影も濃い感じで (何言ってんの?)
宗教観の違い、価値観の違い、衣食住の違い
日本の当たり前は世界の非常識。
(トルコの横の国のシリアでは今でも内戦が起こっていますし...)
それを身をもって体験した1年間でした。
たった1年。
されど1年。
日本人がいないような異国の地での生活はとても濃く僕の人生観を形成する上でかけがえのない体験でした。
22歳の年を1年間留学に捧げた学生時代。
(年齢バレちゃう(涙))
多くの方の援助を受けて留学することができたことは感謝してもしきれません。
アンラーン
留学中に将来のキャリアに悩み、留学後も将来のキャリアに悩みました。
もし、留学にいっていなかったらエスカレーター的に大学院に進学したことでしょう。
理系はほとんど院進学しますので...
留学をしたから将来に向き合える時間がありましたし、将来に対して真剣に考えることから逃げれない1年でした。
エスカレーター的に進学するのではなく一旦、立ち止まる。
結果として、
院進学や就職はせずに
学校を卒業後に塾を創業しました。
2024年4月で4年目を迎えました。
学習塾としては歴の浅い塾です。
周りから、
「高専や外国で8年間化学に捧げたのにその経験を捨てるの?自分にはできない」
「博士号取らないの?ちょっと残念」
と言われたりもしました。
そりゃー僕だってこんなこと言われたら落ち込みますよ。
そんな時に僕を救ってくれた言葉が、留学仲間でもあり、国際NGOで難民支援をしていたゆーかです。
「そーまさん、それをアンラーンって言うんだよ。今まで学んだことを一回捨てて新しい道に行く。そうすることで新しいスキルや知識が入り、飛躍できるんだよ」
一つの道を突き進んでいき専門性を極めるのはとても素晴らしいことです。
自分で学んだことから方向転換して別の道に進む
それも素敵なことです。
化学・研究・留学という道から離れ、
教育・起業・経営・マーケティング・人材開発
の道に僕は進みました。
化学・研究・留学をアンラーンしたのですが、
その時の経験が今ではとても役に立っています。
化学を勉強した者は研究職に就くか工場で働きます。
研究留学した者は大学で教鞭を取るか博士号をとってアカデミックの道に進む人も少なくありません。
留学した者の中には海外就職を目指す人もいます。
先輩も同級生も後輩も就職して工場で働いている人もいますし、海外の大学院に留学している人もいます。修士で研究職に就いた人もいます。大学院後期博士課程に進んだ友達も数名います。
一人くらい就職をせずにポツンと地方で、個人塾をしてもいいかなと思っています。
学生時代にお世話になった塾の先生から、
「一人くらい"ヘン"なのが、大牟田におらんとね」って言われました笑
余計な一言ですよ笑...ヘンなのって...
塾は学生経験が生きる職業です。
むしろ、学生時代の取り組みがもろに反映されます。
その点、化学も留学も研究もそして7年間の高専生活は学習指導において活きているなと感じます。
アンラーンしたものが再び形を変えて活きてくる。
感慨深いものですね。
もちろん、個人塾を創業してからさらに色々奮闘することになるのですが....その話はまたいつの日かにでも。
トルコ研究留学編 終了